t-kuma@web > Archives > 2004/10/29 > 精神論でベースを弾くという事
僕は感情に左右された演奏が好きです。聴く上でも、演る上でも。今回はそんな話を。
楽器をはじめた頃は、「この部分は盛り上げるべき」とか「この部分は抑えるべき」とか「この楽器(歌含む)がリードの時は出すぎないようにしよう」とか、曲の部分部分による強弱やそれによって得られるメリハリが重要と考えて気をつけていた。もちろん、これらの事が重要である事に間違いはないけど、ある時期から「この部分だから強く(または弱く)」という譜面的な思考では足りないと思うようになりました。
これはすなわち、ある部分を「強く(弱く)演るべき」と決めつけるのではなくて、ある部分が「気持ち的に盛り上がった(盛り下がった)から」その部分を「結果的に強く(弱く)演ってる」っていうプロセス――つまり、感情と演奏のリンクが重要なのであるという認識を持ったということです。
ただ単に強くまたは弱く演るという行為は単なるテクニックのひとつであって、じゃあなぜその部分を強く表現しようと思ったの? と考えたときに、その部分が強く表現したくなる「何か」を感じさせているからという動機がなければ、その強弱に意味はないと感じるようになったんです。
もしも、そのような部分がないような曲だった場合は、それは曲が悪いのだろうなぁと思う。でもそんな曲はほとんどないハズ。いちばん簡単に「動機」を感じるには、アレンジをする時や、ベースラインを組み立てるときに考える曲の節目や起承転結などのポイントが感じられれば良いだけだろうし、アレンジをしていく段階で生れたものからも新しい「動機」は勿論感じられるだろう。問題はいかにして自分がそれを感じられるかというトコロだと思う。
そうやって感じた「動機」を演奏として表現しようとする時には、それを表現するための手法が強弱だけではないことに気付くだろうし、それに気付くことが非常に重要なことだと思うし、これこそが音楽という形態で何かを表現するってことなのだと思います。
これは表現手法に限った話じゃなくて、きっとベースラインの組み立て時から実際に演奏するまでの間全てにおいて通じる話だと思うし、他の楽器にもそうだと思う。ベースに限った話にすると、ベースライン組み立ての際なんかも、曲がもっているあらゆる「感じ」から自分なりの「動機」を得てラインを組み立てるべきで、コードとスケールだけに頼って作ったラインではもちろんダメでしょう。それがジャズでも。
僕の場合ジャズは、ジャズそのものに対するアカデミックで強烈な先入観によって、それ以外の音楽を演る場合とアプローチを変えてしまいがちだった。コード進行と理論に縛られて、機械的にラインを組み立ててる自分の記憶ばかり……だからグルーヴしないし、自分も楽しめないでいました。
結局は、演っている事に対して自分なりの根拠があるのか? ってことだと思う。こうだからこうやりたいと思ってやってるかってことだし、能動的な根拠に基づいてやってるかってことだと思う。「なんか盛り上がってきたから強くピッキングした」程度のことでたぶん十分なんだけど、「強調する記号がついてたから強くピッキングした(受動的)」じゃダメってこと。いや、ダメじゃないけど、受動的でも良い出来栄えにできる人もいるかもしれないけど、そういうのは薄っぺらい。と思う。なぜ強調する記号がそこに付いているのかを納得できているなら当然OKですが。
もちろん、ベースを弾く以上最低限の音楽理論は必要(特に和音については。根音(ルート)とは何ぞや? を知らずにベースは弾くのは大変だ。大変なだけで弾けなくはないけど)だと思うし、それなりの演奏技術も必要だと思う。今回の話は理論や演奏技術を否定するものではないです。