昼休み執筆

最近は昼休みを使って「左手の運指考察」を書いてます。

運指と理論は切り離して考える事ができない。運指というものは、百人いれば百通りのやり方があると思うけど、音楽の結果論としてある程度の理論が抽出できる以上、音楽を演るための運指の方法論は理論から導くのが一番汎用的だと思うから。だから今回は結構理論についても記述する必要があるんだけど……。

理論を自分で文章に起こそうと思うと、認識が曖昧だった部分や足りない部分や勘違いしてた部分がどんどん形になっていく。それほど本質的な意味は間違ってはいないようだ(だと信じたい)が、何の疑問ももたずに書いた文章が、ある用語の認識違いによってちょっと恥ずかしいものになっちゃうことが多いのなんの。

ずっと独学だったからこんなもんだろうとは思う。別に演奏時には全然不自由しないからきちんと憶えられないんだろうな。

音楽理論ってヤツは、音楽そのものを、きっと好きで好きでたまらなくて、ずっとずっと追い求めているんだろうけど、当の音楽そのものからしてみると、「あいつうぜーな」って感じなんだろう……なんて、今ちょっと考えてみたけど、違うなぁ、こりゃ。

音楽理論が在る世界で創られる音楽は、それが無い世界で創り得るものとはちがいそう。そして、そのどちらが良いかなんてことは解り得ない。

よーするに、こんな事をウダウダ考えるヤツが馬鹿ってことだべな。我ながら馬鹿なことに面白みを感じるヤツだなぁ。


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