ビブラート多用はごく最近の傾向?

常日頃WEB関連の情報源としてお世話になっているThe Web KANZAKIさんのメインコンテンツである音楽に関するページを読んでいて知ったんですが、ロジャー・ノリントンのインタビューによるとクラシックの世界ではビブラートは1930年代までは使われていなかったらしい。

確かに、ある種のビブラートは、独唱歌手あるいは器楽の独奏者にとっては、良く知られたものでした。18~19世紀において、それは表現力を高める手法であり、長い音を訴えかけたり、特に情熱的な瞬間をはっきり示すために用いられました。20世紀になって新しく加わったのは、全ての音符に、どんな短いものであっても絶えずビブラートをかけるというアイデアです。

(中略)

グラマーな化粧を削ぎ落としたら、オーケストラのサウンドは多くの点で得るものがあります。テクスチュアは透明になり、まさにサウンドの内部を聴くことができます。不協和音はよりシリアスで辛辣なものとなります。

ここでいう「グラマーな化粧を削ぎ落としたら」とは、「ビブラートという化粧を削ぎ落としたら」ということだろう。なるほど、「テクスチュアは透明になり」、「不協和音はよりシリアスで辛辣なものとなります」(これ良い表現だなぁ)というのは想像できる。

フレットレスのベースをメインで使用している僕にとって、コントラバスはもちろんのこと、ヴァイオリンやチェロなどの奏法は非常に参考になるもので、これらの楽器で用いられているビブラートは「あたりまえ」の技術だと思い込んでいたので、せっかくフレットレスベースを使用しているんだから、これはもう当然やるっきゃないでしょ。と、ほとんど決めつけていたのでこの話は新鮮でした。

今まで「あたりまえ」だと思い込んでいたものが、実はごく最近だけの「あたりまえ」なのかもしれない。そんな発見は楽しいので少し調べてみました。

バロック時代のフルート奏法と演奏習慣というページでは以下のように書かれています。

本来、ビブラートというのは装飾奏法の一つです。装飾音ですから、乱用するのは悪趣味とされていたそうです。連続的にビブラートをかけてしまうというのは機械的ですよね。同じような振動数のビブラートを絶え間なくかけているのは、何も装飾していないのと同じとも言えます。

(中略)

「バロック音楽はノンビブラート奏法で演奏するのが正統だ」、という考え方が流行したこともあったそうです。しかし、これも極端な発想で、昔の資料にビブラートの奏法に関する記載があったということは、当時の演奏家がビブラートを頻繁に用いていたことを示しています。有田氏は、PIPERS 2002年12月号のインタビュー記事で「18世紀はビブラートが多用された時代で、むしろ19世紀になってからビブラートを抑制すべきという意見が多くなった。持続的ビブラートはダメだが、古楽奏者はもっとビブラートを使っても良いのではないか」といった内容を述べています。適切な場所で表情豊かなビブラートを使え、ということのようです。

「本来、ビブラートというのは装飾奏法の一つです。装飾音ですから、乱用するのは悪趣味とされていたそうです。連続的にビブラートをかけてしまうというのは機械的ですよね。同じような振動数のビブラートを絶え間なくかけているのは、何も装飾していないのと同じとも言えます。」という部分、まったくそのとおりだと思う。これは自分でも気付けて良いことだったなぁ。

かと思えば、「ノンビブラートは異常な世界」と書いている方もいました。

バイオリンなら、小学生からビブラートをかけていても当たり前です。大人ならたぶんみんなかけているでしょう。(当然アマチュアの話ですよ)「ビブラートが上手にできない」と悩んでいる人がいても、その人はかけているから悩んでいるのです。

もし、フルート、ピッコロ、サックス奏者で、かけていない人がいたとしたら、すぐにビブラートをかけて下さい。現代では、それが普通の奏法です。異常な世界から脱出しましょう。その結果、上手にできなかったらその時悩みましょう。

「現代では、それ(ビブラートをかけること)が普通の奏法」ということは半分くらい理解できます。歴史的に考えれば、現在はビブラートを常にかける「常用ビブラート」がトレンドなのでしょう。ただ「これが普通だからやってください」という論調は苦手。

こうしていろいろ調べてみて、さて、翻って自分としてビブラートに何を求めるか考えてみると……

  • 心地よさ
  • 生々しさ
  • (エレキベースでのビブラート多用という)独自性
  • 音色としてのビブラート(絶え間なくビブラートをかけることの意義とできるかも)
  • 感情表現
  • スピード感
  • 浮遊感

などかな。上記のような事をビブラートをかけた音色に求めるためには――つまり、ビブラートをかけた際に特別な効果を得たい場合は、ノンビブラートで演奏している部分も必要となってくると思う。

「光と影」「制約と自由」などのように、どちらかが無ければもう一方も存在しないものなのだろう、ビブラートとノンビブラートは。まさに「同じような振動数のビブラートを絶え間なくかけているのは、何も装飾していないのと同じ」ということか。

「ノンビブラートでジャストな音程を発音できること」と「常用ビブラートができること」をそれぞれ訓練して、これを準備とし、感情やグルーヴなどを根拠にこれらを使い分けられれば最高なのだろう。今回いろいろ調べてみて、そう強く感じた。


Comments

コメントする

Comment

TrackBack

この文書へのトラックバックURL
http://www.saishokudo.com/zaki/mt/mt-backkk.cgi/254
Info on This Entry
This Category's
«Prev
左手の運指考察 [4] ポジション移動について
»Next
自宅での練習・録音に便利なものたち
All Entry's
«Prev
ご無沙汰
»Next
予告やぶり