即興演奏について考えてみた
菊地 成孔と大谷 能生による、東大での音楽史(おもにジャズ)の講義をおさめた本「東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編
」を読みました。これが滅茶苦茶面白かった。非常に解りやすい、ほんのちょっと演奏者寄りの視点で語られたジャズの歴史は、コード、モードの話を軸にした20世紀の即興演奏の進化の歴史でもありました。
歴史を知ることによって、それまで出合った知識と経験によって凝り固まってきた観念が薄っぺらな思い込みだったことに気が付いたり、視点を少しずらせばもっと広い景色が見えることが解ったり、脳の中で断片化されていた色々な知識が最適化されていくような感覚を覚えました。
歴史の面白さって、こういう風に感じられることっていうのも大きいのかと思う。学生のころにこれは感じられないから、大人になってから歴史を学ぶことは有意義だと感じました。
で、この本を読んでいるうちに、自分が初めて「即興をやりたい」と思ったときから現在まで、どういったことを考えていたのかを思い出してきたので、また忘れる前に簡単にまとめておくことにしました。箇条書きで思考の移り変わりを列挙してみます。
- 過去にない、かつ、自分らしいフレーズを演奏したい。
- 誰かのフレーズのパッチワーク的なことはやりたくない。
- 何となく浮かんだものを弾くだけでは手癖しか弾けない。かと言って全くのランダムに音を選ぶことは音楽的じゃないし、オンテンポで自分の脳みそだけでランダムな音を1音1音弾いていく作業は不可能に近いと思う。
- 手癖フレーズは結局は過去に出会ったフレーズを源泉にしている場合が多いからそれは避けたいし、音楽的——「音楽的」という言葉はあまりに主観に拠りすぎるものだけど——ではない演奏はしたくない。そのために、フレーズを生み出す根拠をコードに求めてみよう。
- コードに対するフレーズの生成にスケールを用いると良いんじゃないだろうか。Dm には D ドリアンといった感じで、和音を内包したスケールが大体ありそうだ。
- コードにスケールを当て込めばとりあえず「アウトしない(ように感じる)」フレーズは弾けた。しかし、世の中には「アウトして格好いいフレーズ」もたくさんある。コード→スケールの順で考えるスキームは「アウトする」ことを避ける性質のものだからアウトをコントロールすることは難しい。
- ブルーノートというものがある――自分としてはあれは「ペンタトニックのメロディックな拡張」という捉え方をしているんだけど――自分なりに言うところの「ブルーノート的なメロディックな拡張」を各スケールに当て込んで「アウト的」というか「アウトちっく」なアプローチを取ってみたらどうだろう?
- しかし、コードを根拠に組み立てたフレーズはやはりどこか機械的で、求めている理想的なフレーズにはなってくれない。と、演奏を繰り返す度に感じるようになる。フレーズ生成のプロセスが関数的(「そのときのフレーズ = getフレーズ(調,
コード, スケール)」みたいな感じ)なので、結果論でいえばこれは当然だった。
- 経験的に良いフレーズを弾けた時は「コード×スケール→関数的演算処理→フレーズ」というプロセスには頼っておらず、その時のサウンドを頼りに自分が過去に身につけたフレーズのアーカイブから無意識的に呼び出されたフレーズを弾いていることが圧倒的に多いことに気付く。
- また、オンテンポではないにしても、「こういうサウンドの場合にはどういうフレーズを弾きたいだろう?」と考えてから弾くフレーズというものも、結局は自分が過去に貯めたフレーズのアーカイブからしか出てこないことに気付く。
- ここで言う「自分が過去に貯めたフレーズのアーカイブ」というものは、過去にコピーしたり思いついたりしたフレーズたちがごちゃまぜになって溜まっているようなもので、経年変化と脳の忘却機能によってオリジナルが別にあるものでも自分好みに勝手に変化していることが多い。
- このフレーズアーカイブのフレーズをいざ弾こうと思った際には、過去にそれを弾いたときの運指の記憶の呼び出し(これはほとんど無意識)と、そのときに表現したいフレーズの表情が求める運指の判断と、そのフレーズをそのときの調で弾くための変換と、コードに反していないかを判定するなどのことを行っているらしい。
- これらの思考はほとんど無意識下で行われており、過去に消化できたコードやスケールの理屈が大々的に役に立っていると思われる。
- ということは結局のところ、頭の中で「いまのサウンドに対して一番カッコいいフレーズ」を思い浮かべて――これは多分に自己のフレーズアーカイブからの意識的、または無意識的な生成になる――そのフレーズを弾く。というプロセスが一番良いのかもしれない。
- これってつまるところ、「経験を重ねて良いフレーズを弾けるようになろう」ってことでしかないのかも!?
- しかし重要なのは、コードやスケールに対する理解はやはり必要だということ。頭に浮かんだフレーズが運指を伴っていなければ、それを演奏するための「ものさし」となるのはスケールであったり、コードに対する知識だったりする。やはりこの辺の最低限の理屈は「共通言語」として覚えておく必要がありそうだ。
- 理論にのっとった演奏をするにも、理論から外れた演奏をするにも、理論がわからなければ「のっとっている」のか「外れている」のかすら解らない。規則がなければ自由はないのと同じ理屈。
こんな感じで、要約すると「即興演奏をおこなうためには豊富な経験と勉強が必要」という、別に何も考えなくても導きだせそうなあたりまえな結論に帰着してしまいましたが、あたりまえなことにディテールを与えることができたってことで、これは結構良い結果が得られました。とりあえずこんな方向でまだまだやることはたくさんありそうです。嬉し。